福田雄一監督 映画『ケロロ軍曹』を企画から逆算する──なぜ炎上に至ったのか

※この記事は作品の内容に触れます。ネタバレ注意。

映画のレビューは、世の中にたくさんあります。

「面白かった」「ここが惜しかった」「このキャラクターが良かった」。

そういう感想は、きっと他の方がたくさん書いてくれるでしょう。

このブログでは少し違う読み方をしてみます。

完成した作品から、企画として何が強く/弱いと判断されたのか。

製作・制作側がどんな意思決定を積み重ねたのかを逆算してみる。

もちろん私は製作・制作現場を見たわけではありません。あくまで一人の業界経験者として、「完成した作品から見える範囲」「インタビューなどから見える範囲」で考えたことを書いてみます。

今回は福田雄一監督作品『新劇場版☆ケロロ軍曹 復活して速攻地球滅亡の危機であります!』を題材にしてみます。

作品公式サイト:https://www.bn-pictures.co.jp/keroro-anime/movie/

まず結論から

私がこの映画で一番気になったのは、よく言われる「脚本の出来」や「ケロロ軍曹に唐突に表れる福田雄一アベンジャーズ」ではありません。

結局、客の求める「ケロロ」の面白さと製作・制作の提示した「福田雄一作品」の面白さがかみ合わず、炎上が起こった。そして嚙み合わなかったのは、何より企画段階で「福田雄一作品」の本質はき違えてしまったのではないか、ということ。

そしてそれがケロロファンたちの「こっちを向いてくれなかった」という印象に繋がったこと。

まずは、制作における初期段階かつ一番見えやすい部分、脚本から考えます。

映画制作において脚本は、最も重要な工程の一つです。

もちろん完成形とは違うこともありますが、物語の骨格は脚本段階でほぼ決まります。

映画を見ていて「脚本が弱い」「3幕構成が守られていない」「葛藤が無い」…という感想を抱いたのですが、

それ以上に「なんでこういう仕上がりになったんだろう」という疑問でした。

ここからは、その疑問を起点に作品を逆算していきます。

前提としてー筆者の「ケロロ軍曹」と福田雄一監督の距離感

立ち位置を明確にするために「ケロロ軍曹」と福田雄一監督作品との距離感を表明しておく。

先に言うと、どちらも結構好き、という距離感。

「ケロロ軍曹」との距離感

・原作⇒22巻までは買って読んでいた

・アニメ⇒毎週リアタイしていた

・劇場版⇒映画館ではないものの、過去5作すべて鑑賞済み。特に3作目が好き。

福田雄一監督作品 との距離感

全部ではないけれどいくつか鑑賞済みで楽しく拝見しています。

・「33分探偵」⇒好き。親が好きで横で見ていた。

・「勇者ヨシヒコ」シリーズ⇒毎週リアタイしていた

・「アオイホノオ」⇒毎週リアタイしていた・Blu-rayBOX買うくらいには好き

・「俺はまだ本気出してないだけ」⇒好き

・「変態仮面」「変態仮面2」⇒好き。映画館に行った

・「銀魂」「銀魂2」⇒好き。映画館に行った

・「斉木楠雄のΨ難」⇒好き。映画館に行った

・「今日から俺は!!」⇒そこそこ好き。原作への思い入れが強いので劇場版は未鑑賞。

恥ずかしながら鑑賞できているのはこれくらいですが、ファンという立ち位置ではないが割と楽しんで鑑賞してきた、という距離感だと自認しています(違って見えたらすいません)。

前置きは以上として、以下からは実際に分析・考察に入ります。

映画で一番大事な「脚本」

純粋に脚本だけを見ると、わかりやすく気になる点があります。

見た人の多くが感じたと思いますが…

・特に前半はナレーションによる説明が多く、映像で見せるよりも言葉で「オチ」とする場面が目立つ。

・各地で異変が起きて解決していくものの、同じこと(パロディ)の繰り返しで物語は前へ進まない。

・主人公たち(この場合冬樹とケロロ)の価値観の転換や成長、絆の進展がない

・敵の思想や目的が終盤まで見えず、物語に対立や葛藤がない。挙句、因縁があったのはケロロではなくクルルなので、最後まで主人公たちのドラマが薄い。

この辺りは、映像化を待たずとも、

製作陣が脚本段階で理解していた「ウィークポイント」だと思います。

ただ、私が気になったのはその先で、なぜこれまでのシリーズでは素晴らしい脚本が書けていたのに、今回はこう言う脚本になったのか、と言うこと。

ヒットメーカーとしての福田監督で狙うV字回復

「ケロロ軍曹」の劇場版は、過去作も高く評価されている作品があります。私も本当に3作目が好きです。

一方で、興行という視点では決して大ヒットシリーズではありませんでした。

大衆向け作品のヒットラインは一般に、興行収入10億円であるとされますが、

ケロロ軍曹シリーズは3~6億くらいがボリュームゾーンでした。

しかも今回は16年ぶり。

テレビシリーズも現在放送されておらず、子どもたちの多くはケロロ軍曹を知らない、という状況です。

本作中でも序盤にケロロ自身から言及があり、明確な課題認識はありました。

つまり、ヒットのためには新規のお客さんが必要で「ケロロ軍曹」だけでは足りないという認識が製作陣で共有されていたはずです。

そう考えると、少なくとも福田監督の起用は理解できます。

コメディ作品で実績があり、一般層への訴求力もある監督だからです。実の直近3作の興行収入を挙げても「邦画界きってのヒットメーカー」と言ってよい成績を残されています。

・『SAKAMOTO DAYS』⇒興収22.3億突破 ※2026/5/22時点

ソース:https://movie.sasaru.media/article/20260522_004/

・『新解釈・幕末伝』⇒興収10億突破 ※2026/1/19時点  

ソース:https://x.com/new_bakumatsu/status/2013053801905967195

 しかも前作『新解釈・三国志』は40億以上

・『アンダーニンジャ』⇒興収15.9億 ※2026/1時点

ソース:https://www.eiren.org/toukei/

つまり、3~6億がボリュームゾーンであり、16年のブランクのあるケロロ軍曹の映画を成功させるために、10億以上、40億にも手が届いた福田監督を起用する、というのは

企画を組み立てていく上では一定の説得力を持つと言えると思います。

ケロロの持ち味「パロディ」と福田監督の作家性

今作は脚本も福田雄一監督が務めているのでが、監督自身がパンフレットでもケロロの面白さはパロディにあると語っており、実際作中には多くのパロディが登場します。

予告編を見るだけでもかなりの数のパロディが見て取れます。

元々、原作やアニメシリーズ、過去劇場版シリーズのケロロ軍曹のパロディは、「この作品が好きだからこそ、このネタになる」という愛情が伝わるところに魅力があります。

そして藤子・F・不二雄な「異星人の居候」パロディを昇華した魅力的なキャラクター(およびキャラクター配置)と、

ガンダムやヤマト(もっと言うとイデオン。特にキャラ名とか)の影響に自己言及し続けるほど、常にSFアニメへの愛を振りまき続ける。

どこまでも漫画的アニメ的な快楽がある作品です。

今回も、「妖怪ウォッチ」「エヴァンゲリオン」「ウルトラセブン」「仮面ライダー」「プリキュア」「ちいかわ」「進撃の巨人」etc…

多数のパロディがありました。

ただ数多くのコメントでも指摘されている通り、あまりパロディの扱いが上手くありません。

個人的な感想もたぶんに含みますが…

・彦根城でエヴァのパロディで使徒(?)と戦った直後に熊本城でウルトラセブンのパロディでメトロン星人(?)と戦い、絵面が似た場面が続く。メトロン星人なら舞台を川崎にするか、いっそ神戸でキングジョーと戦えば良かった。(なおエヴァパロは良かった)

・北関東の”あの採石場”に行ってすぐ、ナレーションで特撮ヒーローものに言及してしまう。言及した後に、ショッカーっぽい敵が出て変身ベルトが出てくる。

・ちいかわパロディが唐突で必然性が無い。

・仮面ライダーっぽい変身ベルトで変身したのが、まさかのプリキュア(この、ニチアサで東映を軸にしたツイストは良い!)。ただ、その絶妙なずらしに誰も言及してくれない。「惜しい気がするけど」みたいな一言があるともっと面白かった。

・敵の侵略兵器である人工太陽。ガンダムのスペースコロニーの形をしていたが、人工太陽でパロディやるなら「バルディオス」では?(ニコニコ動画で再ブームが来る前に「チャー研」パロディやってたのがケロロなんだし)

・序盤にメッサー(ガンダム知識レベル5)を出してから終盤でシャアザク(ガンダム知識レベル1)を出されても笑いにはつながらない。

・ケロロがメカに乗って敵巨大兵器を倒す方法が、「高速で動いて敵のビームを誘導して敵に当てる」。ケロロなら「なんとぉー!」って言うのでは?(ガンダムF91)

極めつけは制作時の不手際による「進撃の巨人」サイドへの謝罪。(もちろんこれは制作体制の話で監督の作家性とは無縁だが、後述する強行突破な姿勢を感じさせる)

参考:https://news.yahoo.co.jp/articles/283ecaf36831b9f7a5b1eb2999241289e3e5b4f6

ここまで考えて改めて認識したのですが、

福田雄一監督の作家性と、ケロロ軍曹のパロディの面白さがかみ合っていない、というのが企画としてのウィークポイントだったと言えます。

福田雄一監督の面白さは、役者の演技の揺らぎや独特の間から生まれる「ゆるさ」「視聴者を没入させきらない面白さ」にある。

大体みんなが思い浮かぶムロツヨシさんや佐藤二朗さんの福田雄一監督作品における演技、みたいなのが最たるもので、テレビ的であり実写的な面白さ

出世作である「ヨシヒコ」は企画自体がドラクエのパロディなのでパロディ作家と思いがちだけれども、他の作品でパロディで勝負する作家ではないと思うのです。 「銀魂」が特にわかりやすく、原作とアニメはパロディ満載だが、福田監督が手がけた実写版はパロディは控えめで別の魅力で勝負している。(そしてそれには成功していると思います)

少なくとも福田雄一監督の最も得意とするのは実写的な面白さで、世間が福田雄一監督に求めているものはパロディでもない、と指摘できる。

みんなが思うケロロの面白さ”漫画アニメ的な面白さ”

 と 

福田雄一監督のもつ作家性”実写的ドラマ的な面白さ”

のかみ合わなさ。もっと言うとすり合わせができなかったことが、

脚本をはじめ映画全般にわたって表れていたのではないだろうか。

それを表すように、福田監督はパンフレットのインタビューでも、アニメ放映当時「ケロロ軍曹」はテレビのコント台本を書きながらいつも見ていた、と語っている。

福田監督は、「ケロロ軍曹」のことをコント的、つまり実写的な面白さと捉えていたのではないだろうか。そしてパロディが魅力であると言う企画趣旨も理解していたが、作家性として得意分野ではない。

そして出てくる福田雄一アベンジャーズ

本作最大の問題点として語られる、唐突すぎて物語に一切影響を及ぼさない、福田雄一アベンジャーズの登場。

これまでの内容を踏まえて問題点は大きく2つある。

①物語に全く影響を及ぼさない。

②アニメでは福田雄一作品的面白さが活きない。

①物語に全く影響を及ぼさない。

脚本のウィークポイントを製作陣が認識していなかったとは想像しづらく、

それをカバーする宣伝のフック・動員施策として入れたことは想像ができる。

もちろん、先に述べた福田雄一監督的な、テレビ的面白さとして成立させる方法もあったかもしれないが、後述する②の要素も手伝ってそれは実現はしなかった。

②アニメでは福田雄一的面白さが活きない。

ここが企画として致命的なポイントだと思う。

先に述べたように福田雄一監督の面白さはどこまでも実写的で、

例えば本作で登場した、佐藤二朗扮する”仏”の表情の芝居(福田節、で想像するアレのこと)。

もともとは実写ドラマ・実写映画において、

表情がひくひくしたり、次に何を言うのかがわからないという、”揺らぎ”が面白さの本質にあると思っている。もっと言うと、ドラマ・映画なのに役を逸脱したりしなかったりという”揺らぎ”があったり。

だけど今回ケロロ(というかアニメ)で描くと、だと単に「ヒクヒクしそうな表情であんまり動かない」という表現になっている。そしてもちろんアニメだと、役を降りたり降りなかったりということも、演出として成立しづらい。少なくとも、見ていてそれは感じられなかった。

そうなると単に「佐藤二朗扮する仏が大映しであんまり動かない時間が流れる」という印象になってしまう。

福田節がアニメと致命的に合っていない。そこに気づかなかったことが大きく足を引っ張ってしまった。 気づかなかったと表現したが、とても象徴的なシーンがあって。アベンジャーズの中で最初に登場するヨシヒコ一向。彼らが登場する場面。 大爆発と共に誰かの悲鳴が聞こえるのだが、観客には誰の悲鳴かわからない。 一方、ナレーションは「この声は!?」と言っている。 プロの声優の特徴的な声の中で、悲鳴だけで観客に誰が来るのかを理解させる、と言うのは多分誰にもできない。もちろん山田孝之さんの声や演技が、と言う話ではなく、ケロロ小隊くらい個性豊かな声優たちが叫んでる後ろで「ひと声の悲鳴だけで誰かをわからせる」と言うのがそもそも演出として無理がある。多分プロの声優であっても、成立させるのは難しいと思う。 なのに、ナレーション(=作り手)だけは、誰の悲鳴かがわかる前提で話を進めている。 その「プロの声優の特徴的な声の中で」声が聞こえると言う点が、まさにアニメの特質であり、そこに対する観客と作り手の態度の乖離こそが、 福田監督的演出がアニメの中でどう見えるのか、と言うことに無自覚なまま進んでしまったように見える。 あるいは、先述したように、制作の姿勢として「強行突破的に」進んだように思える。

観客はその噛み合わなさゆえに「ケロロ軍曹を見に来たのに福田雄一アベンジャーズを見せられた」という印象に繋がってしまい、

さらには「16年ぶりの映画なのに」「オリジナルキャスト最後の作品なのに」という要素も手伝って、

見たものにネガティブな記憶を強烈に刻む。

福田雄一アベンジャーズの出演がきちんと練られた上で面白さにつながっていれば、ここまで炎上はしなかったはずだ。

そしてそれはキャスト陣や福田監督の力量不足、というよりは、

そもそも面白さがかみ合っていない2つの要素をうまくすり合わせる必要性に気づかず全てが進行してしまった、あるいは気づいた上で強行突破した、と見るべきだと思う。正直、うまくすり合わせらことはできたと思う。企画段階で二つのギャップに自覚的であり、強行的でなければ。

なお、よく言われている「後になって福田雄一アベンジャーズを無理やり入れたのでは?」ということについては、今のところそれを裏付ける記載はパンフレットや各種インタビューからは見つかっていないことは記載しておく。(もし見つけたらこっそりコメントして)

一応この論点の最後に、福田雄一監督自身は福田雄一アベンジャーズの出演に対しては当初消極的だったこともパンフレットで語られている。特に監督は企画段階では「ケロロファン」に対しての配慮もあったことは付記したい。

作品を逆算すると見えてくるもの

結局のところ、映画の企画、ましてや16年のブランクのある作品でヒットを狙うって難しいよね。というところに落ち着く。

課題:映画「ケロロ軍曹」シリーズの数値をV字回復させるぞ!

対策:当代随一のコメディ作家を監督に据える

ここまではわかる。けれども、その先に「題材と作家の面白さのすり合わせ」というもう一つ大きな課題があり、

そこに無自覚なまま進んだor強行突破したところ、実態としてなかなかかみ合わず、観客のネガティブな反応=炎上 に繋がってしまった。

じゃあ「どうすればよかったのか」を言ってみろって?

それができれば苦労しねェ!!!(ネテロ)

とはいえいくつかあって、一番大きなのは16年のブランクで、

大きなブランクを跳ねのけてヒットを出した先行例で言えば

『コードギアス 復活のルルーシュ』 興収10億突破 2019/3/29時点

ソース:https://x.com/GEASSPROJECT/status/1111463010550177792

『ガンダムSEED FREEDOM』興収50億突破 2024/9/26時点

ソース:https://gundam-official.com/seed/freedom/news/item.php?id=21750

同じサンライズ系作品で華々しい成功例がある。

どちらも、ファンの層を新規に拡げるというよりは、従来からいるファン層に深く刺して、複数回劇場に通いたくなるつくりにして、

各種プロモーションもそのように注力していたことが印象的だ。

「ケロロ軍曹」でも、従来からのファン層に深く刺して何回も見たくなる作品にする、という方法を取れたかもしれない。

そしてそれら成功例のことは、ファンの頭の中にもうっすらあったと思う。そしてそれは企画段階でも認識できたと思う。 そしてそれが、、ケロロファンたちが「俺たち/私たちを信じて『復活のルルーシュ』『SEED FREEDOM』のような作品にしてくれていれば…!」という風に思うことに繋がり、

端的に言うと「こっちを向いて作ってくれなかった」という印象になってしまったことが、炎上の下地になったように思えてならないのです。

もしくは!

この後予定されているテレビシリーズの後に劇場版をやればまた違ったのかもしれないと思います。

テレビシリーズ⇒劇場版の場合、毎週の放送で必ず映画の告知ができる。これがとても動員施策としては大きいのです。

とはいえ後からでは何とも言えるし、テレビシリーズの後に映画、といかなかったのはそれなりの理由があるはずです。そしてなによりその辺もマーケティングしたうえで「新規層を取りに行く」と判断しただろうし。 とはいえ数字だけで企画は語れないし、何回も見たくなる作品にできるかは作ってみないとわからないし…という。

企画ってむずかしいよね、という話でした。1個1個課題を紐解いていく、という意味ではしんどい仕事です。

最後にこれだけは

オープニングはめっちゃワクワクしました。

※劇場で見たい人は劇場で見てね。OPの時点で「来てよかった」と思ったよ。

あと、パロディがあまりという話はしたけど、細部に神は宿っていて、

例えば、先に例にあげた敵の量産機に紛れてシャアザクが登場するくだり。

映画の最初にメッサーを見せられた人が終盤でシャアザクを見せられても笑わないんのは先述の通りなんだけど、

味方の撃ったビームをシャアザクが避けて後ろの量産機が爆散しているのは再限度高くて笑っちゃった。

そんな風に、画面になんとか演出として入るパロディはさすがとしか言いようがなくて、本当に楽しかった。

話題の『新劇場版☆ケロロ軍曹 復活して速攻地球滅亡の危機であります!』は、そんな感じでした。

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