コンプラ時代が求める「過激」なコンテンツ
企業のコンプラが星を被い、炎上や叩きが駆け巡ってもコンプラ違反が消えてなくなるほど、法令遵守の精神が徹底されていない現代…
攻殻機動隊の記事ではないです、すいません。
「コンプラ」(あんまり好きな言い方じゃないけど「ポリコレ」もこれに含まれると思う)は、私たちのあらゆる人権を守るものであると同時に、ある種の息苦しさを以て受容されている。
それゆえに、過激な「コンプラぎりぎり」が価値を持つようになったのが現代、令和。
意図的に「コンプラぎりぎり」を攻める作品と、そのビジネス的な価値はどんなものか考察し、
『鉄鍋のジャン!』のプロデュースと宣伝がいかに令和のツボをついているか、考える。
世はまさに大「コンプライアンス」時代!
現代のエンタメ、ハリウッドも日本も、時代を象徴する一つのキーワードがある。
「コンプライアンス」
法令遵守、を意味するが、現代ではコンプライアンスの徹底が叫ばれる。
公の場でコンプライアンスが叫ばれると、私の場ではコンプライアンスと反したものが求められる。これが人の世であり、人の心の常。
「コンプライアンスギリギリ」は、少なくとも2026年現在、エンタメの世界では価値を持っている。
M-1グランプリの3回戦のネタを全部見た人が、芸人さんのネタの中に「コンプラ」というワードがたくさん出てきた、と語っていた。
私も好きで予選から見るが、確かにたくさん見た。「コンプラ漫才」。
「コンプラ」の上で遊ぶのは一種のユーモアであり、一定数「コンプラギリギリ」を求める人がいる。
当然、ギリギリのラインを超えたコンプラ違反作品は叩かれ炎上し、報道の下にも非難される。
だけど、ギリギリのラインを超えない場合は、むしろ賞賛される。
不思議だけど、それが現代のエンタメであり、エンタメの面白さでもあると思う。
だから、こんな無茶苦茶な(誉め言葉)PVがつくられる!
『鉄鍋のジャン!』は”攻めた漫画”をなるべくそのまま、過激に、現代に。
「原作発表当時の世相でも十分過激だっただろ!」という突っ込みを待っているかのようなテロップワーク。
原作を知らない人にお伝えすると、『鉄鍋のジャン!』は
露悪的なスマイルが魅力的な主人公、秋山醤が料理人として成り上がるため、
手段を選ばず日夜戦い続ける、異色の料理漫画だ。

超面白い
本当に手段を選ばないので目が離せない。
・順番に審査員が味わう料理対決で、先攻で審査員の味覚をぶっ壊す料理をあえて作り、後攻の料理を味わえない状態にする
・予選会で強烈なフランベをしてスプリンクラーを起動。周囲の選手の料理を水浸しにして撃破
・幻覚作用のあるモノを料理に入れて審査員を魅了する
…など、アレな行動は枚挙にいとまがない。
かなり過激な内容をしていて、とにかく面白い。
今回、令和の世に復活したのは、その過激さが価値を生むと目を付けた人がいるからだと推測する。
”過激”を是とした一つの答え「お断り」芸
PVのテロップワークはもとより、本編でも(2話時点では)、「お断り」を強調する、「お断り」芸は徹底されている。
何なら公式サイトの「イントロダクション」にまで及ぶ徹底ぶり。

馬鹿じゃねえの(最大級の賛辞)
鉄鍋のジャン 公式サイトより引用 https://tetsujan.com/index.html#introduction
「お断り」を入れる芸は昔からコントなんかでもよくあるし、最近だと『ヤニねこ』もラストカットにオチのように、まるでコンプラに配慮したかのような「お断り」が出てくる。
本作『鉄鍋のジャン』はかなり執拗に「お断り」を入れてくる。
「わかったから!」って言いたくなるほど。
たぶん企画や宣伝企画の方針が「お断り」なんだろうな。
企画書や宣伝企画書には何回「過激」という単語が出てきただろう。
コンプライアンスは厳しくなった。でも”攻める価値”はむしろ上がった
少し不思議な現象が起きている。
社会全体ではコンプライアンスが重視されるようになった。
その一方で、
Netflixなどの配信作品では、テレビでは難しい表現が価値として受け入れられている。
つまり、
「テレビでは見られないもの」
そのものがコンテンツの差別化になっている。
規制が厳しくなったからこそ、
規制の外側にある表現にも価値が生まれている。
この構図は、今後の映像ビジネスを考える上でもかなり面白い。
「過激さ」を遊ぶ⇒ファンと共犯関係に。
少し前に書いた『ヤニねこ』の記事でも感じたことだけど、
最近はコンプライアンスのギリギリを攻める作品ほど、
その”ギリギリさ”まで作品の魅力として見せるようになっている。
昔なら隠していたものを、
「分かった上でやっています」
と堂々と見せる。そして、ファンはそれに喜ぶ。
「それでこそジャンだぜ!」となる。
この作品とファンの過激さをめぐる応酬。
「過激さは担保するぜ!だけどコンプラ違反はしない範囲でやってるから放送できてるんだぜ。安心して過激さを楽しめよ!」という応酬。
これこそ、令和の作品らしい空気なのかもしれない。
令和に『鉄鍋のジャン!』を「過激」にプロデュース
昔の漫画をそのまま映像化した作品ではない。
令和という時代のルールを理解した上で、
どうすれば作品の個性を残せるか。
原作が持つ様々な魅力から、「過激さ」を上手に抽出し強化したアニメ化だと思う。
原作が過激じゃないという話ではなくて、複合的な原作の魅力(本当に面白いから読んでほしい)の内、
上手に過激さを強調して、令和にハマるようにプロデュースしている。
そう、これが「プロデュース」であり、「プロデューサー」の見事な仕事なんだ、と舌を巻いてしまった。
まとめ:あえての「過激」さが令和にウケる、だから「過激」に。
映像化における付加価値として、一つの正解を見た気がしている。
そして、それを世に伝える宣伝ワークがとっても良い。
チームとしてしっかり統率が取れているからなんだろうか。
あえて「過激さ」を遊ぶ作品の企画と、宣伝手腕には脱帽です、というお話でした。

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